令和の蝦夷仕事
災禍の今こそ、握ります

蝦夷前寿し保存委員会,北海道鮨商生活衛生同業組合

北海道に初めてすし店ができたのは、一説によれば明治8年。握りずしの本場・東京(江戸)で修行した職人が新天地を求めて来道し、暖簾を掲げたのがはじまりといわれています。

時代は明治から大正へと移り変わり、関東大震災が首都圏を襲います。これにより地方の生まれ故郷に帰る『Uターン現象』が発生。多くのすし職人が散らばるように各地に帰省し、握りずしは全国に広がっていきました。

昭和の戦争は、深刻な米不足をもたらしました。大都市では配給米を握りずしに加工する制度が公布され、このとき米一合をすし(握りずし・海苔巻き)10個と交換したことが、「1人前は10かん」と定着するきっかけとなりました。

戦後、復興とともに冷蔵・冷凍技術も向上。しだいに交通網が発達して新鮮な魚が流通するようになり、北海道各地にもすし店が増えていきます。旬に水揚げされた魚をその日のうちに捌き、余計な手を加えず、生のまま握る。無策こそ上策。北の海が育てた良質な魚があればこその、北国ならではのすしづくりです。

これが『生寿し(なまずし)』と異名を持つ蝦夷前寿しの原点です。

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